懺悔

脳みそドリアのブログです

推しじゃないアイドルが卒業した話

先日、昔から知ってるアイドルが卒業した。
別に自分はそのアイドルを推していたわけではなく、たまたまそのグループの他の子を推していた(その子はすでに卒業している)から知っていただけだったのに、なぜかショックだった。
なんとも言えない切なさがあった。
そのグループのライブはもう2年近く行ってなかった。
ただTwitterはフォローしてたので、どの対バン出るとかワンマンやるとかくらいは知ってたし、いろんな子が新メンバーとして入って、そして卒業して、という流れは見ていた。
そういうメンバーの出入りもある中、その子は初期からずっとグループの中心にいたメンバーだった。
そして、ついにその子が卒業した。

卒業したのを見て、ただ知っている、何度かライブを見たことがあるだけだというのに、なんだかとてもショックというか、寂しかったというか、切なかったというか。
不思議な、でも確実に負の感情に包まれていた。
チェキなんて一枚も撮ったことない、認知をされているわけでもない。
なのに、なぜかそういう気持ちが溢れてきた。
たぶん、これはきっと、変わっていることを受け入れられてないんだなぁと思った。
言葉は悪いけど、「まだ頑張ってるんだな」という気持ちすら持たないくらい、その子がライブをすることが、アイドルでいることが当たり前になっていたんだと思う。
だから、いつの間にかその子がアイドルではなくなり、知っているはずのそのグループがどんどん知らないグループになっていくという、変化が耐えられない。
他人の人生の変化を見て、初めて実感する時の流れ。
突然それを突きつけられてしまって、困惑してる。
そして、自分の人生はさほど大きく変わっていないし、成し遂げたこともない劣等感。
この他にも、この複雑な寂しさや切なさには原因があるとは思うんだけど、今見えてるのはこのくらい。
そういう負の感情が巻き起こったんだろう。

でも、別にそれでもいいんだと思う。
何年も変わらないでいられるのも、わりと難しいことだし、毎日自分を見てるから気づいていないだけで何か変わっているのかもしれないし。
それはそれで、悪いことじゃないんだと思う。
今、こうやって生きているのだから。

少し話がずれてしまったけど、やはりこの負の気持ちが巻き起こった根底には「知ってるアイドルが卒業した」という事実そのものが効いてるんだと思う。
いくら推していなくても、自分が知ってるアイドルが辞めてしまうのは寂しいし、悲しい。
プロ野球ファンが、自分が応援してるチームでもなんでもないけど、何年も前から知ってる選手が引退するときに感じる寂しさみたいなものに近いだろうか。
上手く表現できないけど、知ってる人がいなくなるのは、寂しい。
自分の知っていたものが知らないものへと変わってしまう切なさ。
自分が目の前で見てたものだからこそ、これらを強く感じてしまうのかもしれない。
たとえ直接的なその人との思い出がなかったとしても。

いろいろと勝手に感情を巡らせてしまったけど、そのアイドルに対してはお疲れ様でしたと伝えたい。
俺はあなたのオタクでもなんでもないし、あなたも俺の推しでもなんでもないけど、何度も見てました。
歌もダンスも笑顔も知ってます。
かっこよかったこと覚えてます。
忘れないと思います。
というか、忘れたくないです。
自分の中では、楽しかったという幸せな思い出をもらったので。
いつまでもあなたのことを僕はアイドルとして覚えています。

お疲れ様でした。

P.S.
やっぱ生で見るものは記憶への残り方が違うし、いつまでも覚えているものだと思うよ。
気になるアイドルやバンドや、それ以外でも、一度でいいから見に行った方がいい。

友達

先日、ヒトリエのボーカルwowakaさんが亡くなった。
僕にとってはボーカロイドPとしてのイメージの方が強い。
ボーカロイドが出始めた頃、僕は中学2年か3年生でど世代だったからだ。
そして、当時の思い出がいろいろと蘇ってきた。

正直、僕は小中学生時代にはいい思い出がほとんどない。
かといって悪い思い出ばかりというわけではないが、特別楽しかったな、嬉しかったなと感じたことは思い出せない。
そういうことを思い出そうとしても、モヤがかかった感じで思い出せない。
たぶん覚えてないんだろう。もしくはないか。
それは友達が少なかったというのが原因かもしれない。
別にいじめられていたわけではない。
仲良しグループができていく中で、自分はその輪に上手く入り込むことができず、誰かと仲良くなる機会を失っていったんだと思う。
それでも何人かは話したり、たまにゲームしたりするくらいの友達はいた。

その数少ない友達の中に、たった一人だけ、特別といってもいいほどの友達がいた。
仮に彼を早川くんとしておく。
早川くんは僕の一つ下の学年だった。
どうやって知り合ったのか、どう仲良くなったのかは忘れたが、同じ地区で家が近かったので何かの行事や近所の友達づたいで仲良くなったのだろう。
それが小学生2年か3年くらいのとき。
最初は彼の家に何人か友達が集まってワイワイ遊んだりしていた。
ドラゴンボールの格ゲーとかスマブラとか遊戯王とかデュエマとか。
いわゆる溜まり場だ。
でもそのうちだんだんと集まらなくなった。
けれど小学生なんてそんなものだ。
彼らの流行は原宿の女子高校生のよりも移り変わりが早い。
1ヶ月も経てば流行ってる遊びも遊び場も遊び相手も全然違うものになる。
それもあってか、いつしか早川くんの家で、早川くんと二人で遊ぶことが増えた。
小学校高学年になったくらいだろうか。
そしてその頃から早川くんは学校に来なくなった。
全く見かけなくなったのだ。
当時は理由がわからなかった。
学年が違うし、一つ下で仲が良かったのは早川くんだけだから知りようがなかったし、何よりどうでもよかった。
そんな偉い教育者みたいにすごい考えがあったわけでも、そんな野暮なことは聞かないのが友達だみたいな気遣いができたわけでもない。
ただただ、彼が学校に来たくない理由に対して興味がなかった、それだけだ。
電話すれば出るし、遊ぼうと言えばいいよと言ってくれる。
早川くんが学校に行こうが行かまいが、僕と彼の関係にはそれだけで十分だから、そんなことに関心を持てなかった。
まぁ実際はそんな話題よりゲームの話の方がしたかっただけだと思うけど。

中学に入ってからもそんな関係が続いた。
中学に入ってからもあまり彼は学校に来なかったようだ。
その時、同級生と合わなかったんだろうなと、なんとなく察した。
地元はど田舎なので小学校のメンツと中学校のメンツが変わらない。
だから、そうなんじゃないか、と。
でも、中学に入ろうと僕らの関係は変わらなかった。
休みになれば彼の家に行き、一緒にパワプロやモンハンをしたり、ニコニコ動画を見たりした。
楽しかったな。
毎日毎日同じようなことしかしてないのに、とても楽しかった。
ゲームのプレイ動画を撮ってみたりもした。
その動画データ自体は黒歴史の部類に入るかもしれないが、彼との思い出の一つとしては大切だ。
ボーカロイドもよく見たり聴いたりしてた。
後の米津玄師さんであるハチさんやらryoさんやら、それこそwowakaさんも。
当時流行ったゲームや動画、インターネットカルチャーはほとんど彼と触れてきた気がする。
だからwowakaさんが亡くなり、当時聴いてた曲を思い出し、そこから早川くんを思い出した。

僕の大学受験が本格的に始まってからはほとんど遊ばなくなり、高校卒業し上京してから、連絡すらとらなくなった。
彼と最後に連絡を取ったのも、顔を合わせたのもいつが最後だったのか忘れてしまった。
少なくとも5年は連絡を取っていない。
彼が高校卒業後どういった道を歩んだのかすらも知らない。
何も知らないまま、いつしかあの頃を忘れたまま時間が過ぎ、僕は社会人になった。
そして先日、wowakaさんが31歳という若さで亡くなったことがきっかけで、早川くんのことを思い出した。
僕は今25歳、早川くんも24歳だ。
死ぬには十分すぎるくらい歳をとった。
何かが起きてもおかしくない歳になった。
それを感じ、なんとなく彼に会わないと後悔するというか、また遊びたいなと強く思った。
20代半ばの大人らしい遊びなんてしなくていい。
またあの頃みたいに、中学生みたいに一緒にゲームしたり、動画を見たりして遊びたい。
そういう遊び方が何より楽しいし、僕ららしいと思う。
もしかしたら、何年も連絡を取らなかったくせになんだよと思われるかもしれない。
向こうはそれほど僕のことを特別視してないかもしれない、忘れてるかもしれない。
後悔するという気持ちを払拭したいエゴかもしれない。
僕だけが思い出を美化しているだけで、彼にとっては迷惑な毎日だったかもしれない。
けれど、僕にとっての早川くんは早川くんしかいなくて、何年も会ってないからこれからも会わなくていいやってことにはならないし、今こうして会いたいと思うきっかけができたのだから会えたらなと思う。
彼はどんな大人になっているのだろう。
どんな仕事をしているのだろう。
彼女はいるのだろうか。
話したいことも聞きたいこともだくさんあるけど、きっとまたゲームに気をとられてしまうんだろうな。
モンハン、持ってるかな。
持ってなかったら買わせればいっか!

P.S.
俺もTwitter経由で仕事ほしいーと言ったら、まずは自分の会社の仕事をしてくださいと友達に言われました。ごもっとも

嫉妬

みなさん、いろんな人に嫉妬していますよね。
恋人や好きな人、その人たちに関わる人、友達や同級生、家族、遠いところで言えばSNSで見かけた人、芸能時...etc
まぁ、良くはない感情です、嫉妬って。
嫉妬していて気分がいいなんて人いますか?
いたらそれはそれで面白い、話聞きたい。
でも、なんで嫉妬するんでしょう。
そもそも嫉妬ってなんなんでしょう。

僕は今まで嫉妬って自分に自信を持てない人が、その自信のなさからもっと自分のことを見てくれないと、もっと好意を示してくれないと落ち着かない、不安になってしまうから抱く感情だと思っていました。
恋愛の副産物みたいな。
でも最近、もしかして逆なのでは?と思うようになって。
僕がよく見る『嫉妬』はTwitterとかで「ブスのくせに調子乗ってる」「なんでこんな面白くないのにフォロワー多いの」みたいなことですね。
これも立派な『嫉妬』じゃないですか。
逆といったのは、むしろ『嫉妬』は自分に自信がある、プライドの高い人が持つんじゃないかなってことです。
さっきの例で言えば「ブスのくせに調子乗ってる」って嫉妬してる人は、心のどこかで「このレベルの容姿でみんなにチヤホヤされるなら自分もされたっていいんじゃないか」って思ってるはずなんです。
「この人の容姿に比べたら自分の方がいい」とまで思っているかもしれません。
立派な自信ですよね。
「面白くないのにフォロワー多い」って嫉妬してる人は、「この程度のツイートなら自分にだってできる」と思ってるはずなんです。
僕も思ったこと1000億万回あります。
むしろ自分の方が面白いとか有意義だとか思っててもおかしくないし、なんなら思ってると思います。
立派なプライドですよね。
自分が持ってるものに対して、多少なりとも自信やプライドを持ってるから嫉妬するんじゃないかなって。
なんで自分のは評価されないんだ、自分の方がすごいのに。
こういう感情を持ってるから嫉妬してしまうんじゃないですかね。
だって、圧倒的に能力のある人間のこと、羨むことはあっても嫉妬することはないじゃないですか。
橋本環奈に嫉妬する人いますか?
なんであの子ばっかりチヤホヤされるんだ!!!!って嫉妬してる人いますか?
いませんよね。
そういうこと。
結局、自分の評価と周りの評価にギャップがあったときに、そこに対する怒りや葛藤を、自分が認めていないのに自分よりも評価されてる相手にぶつけてるのが『嫉妬』なんじゃないですかね。
だから、嫉妬してる人は自信家なんですよ、とても自己評価が高い。
たぶんね。
恋愛だって、好きな人が自分以外の誰かに自分がして欲しいことや言葉をあげていたら嫉妬するんですよね?
それってどんな要素があるにしても、その言葉や目線は自分に向けられるべきだ、自分に向けるのが正しいと思ってるんじゃないんですかね。
知らんけど。
なので、僕は嫉妬という感情だけは肯定できないです。
嫉妬だけは本当に醜いなと思うんです。
ただの自意識過剰、過剰評価、傲慢だと思っているので。
嫉妬しているということは、自分の見ている世界と周りが見ている世界に何かしらのギャップが生じてるんじゃないかな。
だから、周りが見ている世界を見ようと、理解しようとするのが大切かもしれないです。
なぜ、自分だけあまり評価されないのか、何か必ず理由がありますから。

.........................................................。
いやまぁ、いいこと言おうとしてるけど全然言えなくてすごいモワッとした感じで終わったわ。
とりま、嫉妬する前に自分磨きしなってこと✋

P.S.
アリータまじでおもろいから見な。
銃夢絶対読む

生きるとは

あけましておめでとうございます!
去年は社会人になったり、なぜかたくさんフォロワーが増えたり、その中で友達も増えたりとかなり楽しい一年でした。
今年もよろしくお願いします。

今回は別にそんな当たり前のことを言いたくてブログを書き始めた訳ではなく、少し思うところがあり。
まぁあまり前向きな内容ではないので嫌な人はブラウザバックで。

昨日、4時間弱残業しました。
新年早々。ええ。
でも別にそれはうちの会社の提供してるサービス上、仕方のないことなので(年末年始はかなり業務がたまる)それが常というわけではありません。
普段は全然定時に帰ってます。
そのあと夕飯を買ったりなんだりして家についたのは22時半過ぎとかでした。
飯食ってシャワー浴びてぼーっとテレビを見て気づけば0時半。
そうして布団に入る。
たぶん、なんの変哲もない、社会人にありがちなタイムスケジュールだと思います。
けど、そのせいで少し、ほんの少しだけ悲しくなったというか、寂しくなったというか。
それは4月になって、社会人になってから、平日に遊ぶ体力が、気力がなくなってことに気づいたから。
まぁ薄々わかっていましたが、このタイミングで。
厳密にいうと日〜木ですね。
次の日が休みじゃないと遊ぶ気になれない。
なんでこのタイミングで深くこのことについて考えたんだろ。
たぶん、仕事で22時とかに帰宅したからだと思う。
友達と飯を食うなりライブに行くなりして遊んで帰る22時。
仕事に追われて仕方なく帰る22時。
同じ22時の帰宅でもなぜか俺は前者は選ばず、後者は選べた。
前者も後者も選ぼうと思えば選べるし、選ばないということもできる。
それに後者は選択せざるを得ない状況に置かれる場合もある。
だから仕方のないことっちゃ仕方のないことではある。
そんなのはわかってる。
けど、自分の中で「平日に遊んで帰る」という選択を遠のけてきた、避けてきたということがあまりに多かったことに落胆したのです。
週5日は9時18時で働き、「明日も仕事があるし」と直帰する。
それがノーマルなスケジュールとなった。
でも、それは幸せなはずなんです。
世の中、ブラック企業だなんだの言われてる中で、全然定時に帰れるし、なんならフレックスで早上がりもできる。
給料もそこそこいいし、ボーナスだって想像以上にもらえた。
仕事内容だって自分がやりたいと思ったことができているし、グループのメンバーはよくしてくれる。
働いている環境は何も悪くありません。
ただ、「明日も仕事だし」という気持ちから遊ぶことを避け、自らなんの色もない、ただ同じような毎日を過ごすような選択をしてしまっていることに気づき、突然大きな嫌悪感に襲われました。
でも、だからといって仕事をやめられるわけでもないし、もっとアクティブで毎日が目まぐるしく変わる華やかな仕事に就けるわけでもない。
他に食って行く手段も能力もないから。
こう思いながらも、俺は今日も明日もあさっても、自分の人生に自分で色をつけることもできず、同じ毎日を繰り返して行くのかと思うと、なんとも言えない無力感に包まれるのです。
打開できるのは自分の気持ち次第、行動次第だってわかってる。
それがわかってるからこそ、嫌になるんですよね。
こんな毎日嫌だなと思いながらも何もできない、何もしない自分に。
でも、もしかしたらこんな毎日でも居心地がいいからそうしてるのかもしれない。
まぁ楽だもんな、毎日同じことしてればいいから。
それにこんな自分でもちゃんとした会社でいい人に囲まれながら働けてるのは幸せだと思うし、全然遊ばないから金も貯まるし、身の丈にあった生活を送れてるのかもなとも思います。
あ、勘違いしてほしくないのは別に楽しみがないとかそういうのじゃないよ。
好きな人たちとあって、美味い飯食べたり酒飲んだり、楽しくて爆笑したり、ゲームしたり、映画見たり、ライブ行ったり、そういうことは全然あるし、それがモチベになってる。
けど、以前よりもそれを避けるようになってしまった、好きなはずなのに。
それが、少しずつ、自分の中のモヤモヤとして大きくなってきてる。それだけ。

こんなの、きっと社会人ならみんな考えていることだろうし、わりと平均的な悩みだと思います。
けど、だからこそみんなどうしてるんだろうって、どうやってその足で立って、歩いて、進んできたんだろうってすごく思う。
これが生きていくってことなのかね。
生きるってなんだろうね。
俺の生活は生きているんだろうか。

だれに相談できることでもないし、相談したところで何が変わるわけでもない。
けど、なんとなくこの気持ちは文章にしたいなと思って早朝から書きました。
それだけです。
そろそろ出社の準備します。
では、また。

あ、なので誰か平日でもいいから俺を引っ張り出して。
お願いします。

P.S.
皮を剥くのがめんどくさいので、カレーや肉じゃがを作るときは皮ごと煮込んでいます。

【完全版】かけ算徹底攻略!!!

どうも、ミスiD書類審査落ちの脳みそドリアです。
最近、CoD BO4を購入いたしまして、日々人を銃殺しています。
【PS4】コール オブ デューティ ブラックオプス 4【CEROレーティング「Z」】
もうハマりまくりで
FPSやめれないんだけど~~~~~~!!!!!
朝までFPSやめれないんだけど~~~~~~!!!!!

それはさておき、今回はかけ算徹底攻略です。
みなさん、きちんと掛け算できてますか?
もしかしたら掛け算がまだ苦手…いろんな問題集を解いたけどイマイチ何をしてるのかわからない…
なんて人がいるかもしれません。
でも大丈夫!!!!!!!!!!!!
そんなあなたを今日僕が救います。
明日からあなたも掛け算マスターだ!!!!!!!!!

さて、この間Twitterを見ていたらこういうツイートを目にしました。
小学生2年生の息子の学校のテストが狂ってる
という画像付きのツイート(※ツイートされた方の許可はとってないので転載はしていません、すいません)

気になる問題はというと
もんだい:□にあてはまる数を入れて、3×5になる しきの もんだいを つくりなさい
パンを□人に、□ずつくばります。
パンはいくつになりますか?

これに対して、ツイート主様のお子さんは
パンを3人ずつに、5こくばります。
と解答。
しかし、結果は不正解

いやー、おかしいですよね。
答はどちらも15になるはずですし、どちらが先かなんて問題じゃない!
と、思う方が大多数だと思います。
無論、僕もそう思っていました。
けれど実は、こういった問題にはきちんと狙いがあるんです。

みなさん、四則演算はご存知ですよね?
足し算引き算よりも先に、掛け算割り算を行う。
では、なぜ掛け算割り算を先に行うのでしょうか?
例えば、6+3×5という式があります。
答はいくつでしょうか。
そうです、4521です。
もちろんみなさん正解できましたよね?

さて、さらに問題です。
なぜ、21になったんでしょうか?
解説しますと、この式をすべて足し算にしてみてください。
6+3+3+3+3+3という式になったんじゃないでしょうか?
これが四則演算で掛け算割り算を先にする理由です。
掛け算というのは足し算の集合体なんですね。
なので左から右へとバカ正直に計算してしまうと、値がおかしくなるわけです。
え??割り算の話がでてきてねーじゃねーかって?
うるせーな、割り算は数値の逆数を掛けるってことをする掛け算なんだよそんなことも知らねーのかよダボがもうブラウザバックしてクソして寝ろカス
それはご自分で調べてみてくださいね!

さて、話を戻しましょうか。
ではこの話が先述した文章問題にどう関係してくるのか?
まず、私たち大人は四則演算を無意識のうちに計算しています。
掛け算割り算は先、そういうもん、として処理しています。
しかし、子どもたちはそうは行きません。
奴らは屁理屈大好きのクソガキだからよ、なんでですか先生~~~~~理由を教えて下さ~~~いとか言うんだよ。うぜーーーーーーーーー
全てにおいて疑問を持ち、その答え、理由を知ろうとします。
それに新しく覚えたこともすぐ定着するわけではありません。

なので、先ほどの『3×5になる式の問題を作りなさい』のような問題で、文章として掛け算の中身を理解させるのです。
3×5も、5×3も答えは一緒です。けれど、中身は
3+3+3+3+35+5+5と、全く異なります。
パン5個ずつが3人に配られるのか、パン3個ずつが5人に配られるのか。
この違いにどういった違いがあるのか知ることで
あ、かけ算の中身は足し算なんだ
と刷り込ませていき、四則演算の壁にぶち当たらないようにしているわけです。
まぁ、壁にぶち当たらないようにといっても、子どもたちにきちんとなぜ不正解なのか、なぜこの回答ではだめなのかを説明してあげないと、ただの理不尽になってしまうので、そのケアをきちんとしてあげることが重要ですが。
それにこの問題で、3×5のどちらが人で、どちらがパンなのかなんて1mmも予想できませんし。
クソ問題には変わりない。
こういうのがあるから算数嫌い、苦手意識が強い子が出てきてしまう。
先生のケアが行き届いていないんでしょうね。

さて、ここまで偉そうに理論を展開してきましたが
全部嘘です。
僕の妄想です。
事実無根の摩訶不思議の大嘘です。

そもそも数学者でも、教育者でもないです、僕は。
無理やりこじつけただけです。
これを信じかけた人がもしいるのであれば、その人は詐欺とかマルチとか宗教とかに十分気をつけてください。
素質ありますよ、金を巻き上げられる。
今日はこれで。
では、また

P.S.
YouTubeコラボしませんか?

落ち込んでるときって落ち込んでる自分に落ち込むよね

どうも、脳みそドリアです。
最近モンスターハンターワールドに再燃いたしまして、1日平均3時間ほど狩りをしています。
やっている人がいたら連絡ください。
時間が合えば狩りしましょう。

先日、LINEをしてたらこんなことを言われました。
「ドリアちゃんって基本病まないよね」
まぁ基本的には病まないですね。
いやちゃんと人なので落ち込むこともあるし、何かも嫌になることもそれなりにはあります。
そのときに「うらやましい。見習わなきゃ」と言われたんですけど、それはちょっと違うなって思いました。
今日はそんな話です。

僕が病んだり悩んだりしないのは
「落ち込んでても解決するわけじゃね~~!!!!」
というマインドがあるから。
まあ、そうじゃないですか?
何か悩み事があって、家で落ち込んで、SNSで病んで、それで状況が好転することってあるのかなって。
あるかもしれないですけど、かなり稀ですよね。
そんな気分になってるくらいなら悩みなんてシカトして楽しいことしちゃお~!ってのが僕のスタンス。

でもそれが正しい行動、思考であるとは別に思ってないです。

例えば、悩みや病むことを雨だとします。
病みやすい、悩みやすい、落ち込みやすい人は雨が多く降る地域に住んでいます。
その中で「雨降ってるとこに住んでても楽しくねー!俺は晴れの多い地域に住むぜ、引っ越すぜ」という人もいます。
これがいわゆるあまり病まない人です。
「たしかにそうかもしれない!」と思い立って引っ越す人もいるでしょう。
中には引っ越せない人もいます。さまざまな理由で。
でも雨の多い地域に住んでることって悪いことでしょうか?
それに、晴れの多い地域に引っ越す、住むというのは雨(悩み)が多いというのを解決するにはいい手段のように思えます。
けれど見方を変えたら、その地域を捨てた、逃げたという見方もできます。
なので必ずしも正解ではないと思うんです。

なぜなら雨の日には雨の日なりの過ごし方があります。
家にこもりいろんな本や映画に触れて感性を養う人
ゆっくりと過ごせるためにいろいろな物事の考えをまとめられる人
創作に時間が使えるから何か新しいものを生み出せる人
雨の日にしか見れない生き物を見つけたり作物を育てたりすることができる人

雨が降っている中でも何かしらのものが手に入ると思ってるんですよね。

晴れの日には気づかない、見つけられないものがあるはずです。
だから決して雨の多い地域、雨の日が悪いとは言えないと思ってます。
逆もまた然りですが。
なので、病まない人がえらい!とか、いろいろ悩んで考え抜ける人がえらい!とか優劣があるわけじゃないです。
人それぞれの悩みとの付き合い方があるんです。
無理に自分の考え方や悩みへのアプローチの仕方を変える必要なんてないんです。

でも一つ、勘違いしてほしくないのは
「悩みやすいやつは考え抜け!正解を出せ!そこから必ず何かを生み出せ!」
だとか
「病まないやつはずっと明るくいろ!能天気でいろ!」
とか言ってるわけじゃないです。

悩んでしまう自分に嫌悪感を抱く必要はないし、いつも病まない人がたまに病んでも何もおかしくないよってことです。

人なので病んだり悩んだりするのは当然です。
その中で無理に何かしようとか、明るくいようとかする方がストレスになるし良くないです。
だって、雨の日に晴れの日と同じように洗濯したり遊んだりする人なんていないでしょ!
自分なりの雨の日の過ごし方をすればいいんだよってことです。

あー、今日雨の日だな、外に出ないでゴロゴロしてよとかそんなんでいいんですよ。
雨の日なんですもん。

P.S.
馬は軽車両扱いなんですって。
だから乗って公道を走ってもセーフ。
でもアフリカゾウ道路交通法に引っかかるらしいです。
これ、差別じゃないですか?
同じ命ですよ。

人を好きになるということ

1年以上ぶりのブログでウケてます。
プラスしてこの1年でフォロワーが爆増して引いてます。
脳みそドリアです。

今日、というか本当は昨日なんですが、僕が初めて推しアイドルの卒業を味わった日から1年が経ちました。
このツイートですね。


卒業ライブは7/27だったんですが、ツイートは日をまたいでいます。
これはね、普通に「あ~もう会えなくなるんだな」って感じて放心状態で死んでいたからです。
あの日は大学院の研究室を「就活です!!!!!!」と終わってるはずの就活をだしにして休みました。
チェキ撮りたかったし。
会場から家までドアツードアで1時間半から2時間ほどかかるんですけど、放心しすぎて2分くらいで帰ったような気がしました。
そのくらいダメージが来てましたね。
その日は泣かなかったんですけど、後日、というか翌日。
めちゃめちゃ泣きました。
号泣というか、なんか自然と涙が溢れてくるというか。
ほんとに、わかります?何も考えていないはずなのに自然と
ツーって
ほんと何が起きてるかわかんないんすよ。
なんでそんなに傷心状態に陥っていたかというと、ライブを見るのが、話すのが、何より笑顔を見るのが好きだったから。
それがもう見れない、会えない、声が聴けない、話せない。
その実感がふつふつと沸いてきたからなんですね。おそらく。

そこで、僕は学んだことがあります。
好きな人には会おう。
これね、当たり前の事でしょって思う人、たくさんいると思います。
でも、人ってなんでかな、当たり前の事を当たり前にできないんですよ、一番。
この好きな人には会おうって話、別にねアイドルとか片思いしてる人とか、恋人だけに限った話じゃないんです。
家族、友達、好きなバンド、お笑い芸人、飲食店、マンガ喫茶...etc
どんなものでも人でも言えます。
有名な2ちゃんのコピペでこんなのがあります。

ところでさ、一人暮らししてる人は年に何日実家に帰ってる?

俺は仕事が忙しくて夏休み3日正月休み3日の、計年間6日位なんだけどさ。

俺のカーチャン今50歳で、考えたくないけど
女性の平均寿命から考えてあと30数年とするわな。

単純計算すると、あと180日位しか会えないことになる。

冷静に考えてみたら、もう半年しかないんだぜ?

おまえらも数えてみ?

あと何日カーチャンに会える日がある?

まさにこれなんです。
大切だと思ってる友人と、家族と、親戚と年に何回会ってますか?好きなバンドやアイドルのライブに何回行ってますか?お気に入りのお店に何回来店してますか?
あと何年会えますか?見れますか?食べられますか?
数えてみると結構少ないんです。
親に会える日も、友達に会える日も。
それがアイドルやバンドだとしたらどうでしょう?
向こうは死ぬまでイベントやライブをしてくれるわけではありません。
半年後、やめるかもしれない。3か月後かもしれない。来月かもしれない。来週かもしれない。明日かもしれない。
いつ辞めるかわかりません。
としたら、何回会えるかなんてわからないですよね。

僕は推しの卒業が発表される前、当時の1年くらい前に同グループから別のメンバーが卒業した時に「あ、会えるのは永遠じゃないんだ」って気づきました。
そこから会える日のライブは全部行きました。
いつ会えなくなるかわからないなって本気で思ったから。
その他のメンバーの卒業から8か月とかそんなもんかな?卒業発表があり、さらにそれから数ヶ月後卒業したわけですが、とてもじゃないけど時間が足りなかった。
もっと話したかった、伝えたかった。もっと見たい、聴きたい。もっと早く出会ってれば。いろんな思いが残りました。
足りないんです、会えるだけ会ってても。
あの日も無理して行っておけばよかった。この日も遠征しておけばよかった。
そんなことばかり思いました。
そして、卒業してから感じたことがあります。
いなくなってから、失ってから大切だと気づくことがあるってよく言うじゃないですか。
あれ、ちょっと違うなって。
大切な人とは話したいことがドンドン増えるんですよ。
それが、いなくなってからも止まらないから、大切なんだと気づくんです。
ただ、そばにいるときはそのリソースを消費できてるから実感しないだけで。

だから、みなさん、大切な人とはたくさん会って、話して、見て、聞いてください。
好きなら動いてください。
それでも絶対足りないです。

足りないからこそ、今できることを、今話せる日を、今会える日を、無駄にしてほしくないです。
人はいつの間にかいなくなってしまいます。
みなさんの身近な話で言えばTwitterのユーザーじゃないですかね。
いつの間にかアカ消ししてる人、更新しなくなった人。
それと同じように普通にいつの間にかふわっといなくなったりします。
意外と人は、すぐに消えます。
あなた自身もいつ消えるかわかりません。
今ある時間を、大切に生きてください。
たくさん笑ってください。
幸せを感じてください。
忘れられないくらいに。
好きだと思うなら、今すぐ動いてください。
それが好きだということです。
これが僕が推しの卒業から、好きになった人から学んだことです。

P.S.
最近モノマネを練習してます。いざというときのために。