懺悔

脳みそドリアのブログです

推しじゃないアイドルが卒業した話

先日、昔から知ってるアイドルが卒業した。
別に自分はそのアイドルを推していたわけではなく、たまたまそのグループの他の子を推していた(その子はすでに卒業している)から知っていただけだったのに、なぜかショックだった。
なんとも言えない切なさがあった。
そのグループのライブはもう2年近く行ってなかった。
ただTwitterはフォローしてたので、どの対バン出るとかワンマンやるとかくらいは知ってたし、いろんな子が新メンバーとして入って、そして卒業して、という流れは見ていた。
そういうメンバーの出入りもある中、その子は初期からずっとグループの中心にいたメンバーだった。
そして、ついにその子が卒業した。

卒業したのを見て、ただ知っている、何度かライブを見たことがあるだけだというのに、なんだかとてもショックというか、寂しかったというか、切なかったというか。
不思議な、でも確実に負の感情に包まれていた。
チェキなんて一枚も撮ったことない、認知をされているわけでもない。
なのに、なぜかそういう気持ちが溢れてきた。
たぶん、これはきっと、変わっていることを受け入れられてないんだなぁと思った。
言葉は悪いけど、「まだ頑張ってるんだな」という気持ちすら持たないくらい、その子がライブをすることが、アイドルでいることが当たり前になっていたんだと思う。
だから、いつの間にかその子がアイドルではなくなり、知っているはずのそのグループがどんどん知らないグループになっていくという、変化が耐えられない。
他人の人生の変化を見て、初めて実感する時の流れ。
突然それを突きつけられてしまって、困惑してる。
そして、自分の人生はさほど大きく変わっていないし、成し遂げたこともない劣等感。
この他にも、この複雑な寂しさや切なさには原因があるとは思うんだけど、今見えてるのはこのくらい。
そういう負の感情が巻き起こったんだろう。

でも、別にそれでもいいんだと思う。
何年も変わらないでいられるのも、わりと難しいことだし、毎日自分を見てるから気づいていないだけで何か変わっているのかもしれないし。
それはそれで、悪いことじゃないんだと思う。
今、こうやって生きているのだから。

少し話がずれてしまったけど、やはりこの負の気持ちが巻き起こった根底には「知ってるアイドルが卒業した」という事実そのものが効いてるんだと思う。
いくら推していなくても、自分が知ってるアイドルが辞めてしまうのは寂しいし、悲しい。
プロ野球ファンが、自分が応援してるチームでもなんでもないけど、何年も前から知ってる選手が引退するときに感じる寂しさみたいなものに近いだろうか。
上手く表現できないけど、知ってる人がいなくなるのは、寂しい。
自分の知っていたものが知らないものへと変わってしまう切なさ。
自分が目の前で見てたものだからこそ、これらを強く感じてしまうのかもしれない。
たとえ直接的なその人との思い出がなかったとしても。

いろいろと勝手に感情を巡らせてしまったけど、そのアイドルに対してはお疲れ様でしたと伝えたい。
俺はあなたのオタクでもなんでもないし、あなたも俺の推しでもなんでもないけど、何度も見てました。
歌もダンスも笑顔も知ってます。
かっこよかったこと覚えてます。
忘れないと思います。
というか、忘れたくないです。
自分の中では、楽しかったという幸せな思い出をもらったので。
いつまでもあなたのことを僕はアイドルとして覚えています。

お疲れ様でした。

P.S.
やっぱ生で見るものは記憶への残り方が違うし、いつまでも覚えているものだと思うよ。
気になるアイドルやバンドや、それ以外でも、一度でいいから見に行った方がいい。